続・横浜トリエンナーレ

同じエントリに書けよって感じですが・・・
 
前述の横浜トリエンナーレだが、運営はボランティアの協力によってまかなっているとのこと。昨日は雨で寒かったということもあり、会場内はお客さんがそんなに多くなかったのだが、あちこちで元気に働いているボランティアの方々に感心しきり。
 
僕も個人でPC教室とかに顔を出すことがあるけれども、好きでやってる人が運営しているイベントは素敵だ。気持ちよくそれでいてきちっと運営されてるし(みんな専門家だ)、逆に部分によってはところどころ素人っぽさが出てそこもまたいい。
 
でも入り口のチケットもぎりのお姉さま方はもう少しちゃんとやったがいい。自分たちがどこのチケットもぎりブースに入るのかそれともシフトを決めたのかわからんが、客の前でじゃんけんしながら、そしてその客が入ろうとしたコーナーを後からふさいで、わざわざ客に別コーナーに行かせるってのはNGだ。ボランティアだからこそ担当するパートへのプロ意識を持って取り組んだ方がいい。じゃないと「やっぱりボランティアだからしょうがない」と思われてしまう。これは1番くやしいしもったいないことのはずだから。

横浜トリエンナーレ

週末は土曜日に休日出勤があったので、雨の日曜日に夫婦で横浜にでかけてみた。本当は逆にすればよかったのだが、失敗。
 
今回は普段あまり行かないということで横浜のショッピングエリア(クイーンズスクエアや赤レンガ)を見てみるのが1つと、もう1つは奥様がチェックしていたという「横浜トリエンナーレ」を見ること。
 
横浜トリエンナーレ
http://www.yokohama2005.jp/jp/
 
横浜で開催されている、現代アート?(正確な定義を知りません)の展示会らしく、82のアーティストが参加して作品を公開しているかなり大規模なもの。様々な「表現」に出会って感心することしきり。山下埠頭の2つの上屋(倉庫)を使ってるので、展示場内は結構ひろびろ。展示の内容も暗幕や壁を設置した大規模なものから、モノがおいてあるだけの小さなものまでこれも様々。
 
中でも素人の僕でも印象に残ったのが以下のお二人の作品。
 
奈良美智さん(Yoshitomo Nara)
高嶺格さん(Tadasu Takamine)
 
特に奈良さんの絵はなんだかほんのり柔らかくてほっとした感じ。この方の絵は有名らしいので(僕も以前目にしたことがある気がする)ご存知の方も多いのでわ(→Googleイメージで「奈良美智」を検索)。
 
個人的には『床にバケツを置かれて「感じろ!」と言われてもものすごく困惑してしまう』のだが(わかりますね?これが私の貧困な現代アートに対する先入観です)、確かに表現は難解でも何らかの意図が感じられたり、その表現そのものから感じる一般的な印象があれば、僕でもなんとかなるということが判明。それが大きな収穫かな。説明がないと感じられないあたり、やはり芸術向きじゃないことは間違いないのだけれども・・・。
 
誰か「プラグマティズムの見地から論じる現代アート」って論文でも書いてくれないかな・・・。ぜひ勉強したいっす。「切れないナイフには、ナイフとしての意義はない」ってものすごく乱暴に言ってみると、「共感できない現代アートには、アートとしての意義はない」?それとも「共感できない現代アートには、『共感できない現代アート』という意義がある」?
 
だめだこりゃ・・・orz

PIXAR ショートムービー

世間は iPod Video の登場に大いに沸いてますが、iTunes もビデオ配信に対応したVersion 6 が提供開始になってますな。
 
で、提供開始に伴って動画配信も始まっていて、この中でPIXAR Short Movie というコンテンツが公開されている。
 
このショートムービーだが、ストーリーといい、画像クオリティーといい、かなり高い。1つ300円とビミョーな価格設定だが、ショートムービーであるがゆえに何度も繰り返してみられるということを考えると、意外とお得だと言える。(つまり繰り返しみたくなる内容ってことですな)
 
ぜひお試しあれ。
 
ちなみに私のお気に入りは「For the Birds」です。

ブログって・・・

どうも議論の火付けとして発言しているっぽいのでその意図はいいと思うんだが、いかんせんIT業界の広報としては理解度低すぎ。いや、広報畑まっしぐらの人ならまだ理解できる(でも広報畑の専門家はこんな発言ぜったいしないけど)が、この人はローカライズ開発のキャリアもあるITリテラシは高い方と見受けられる人。
 
まぁだからこそわざとだろうな、と推測できるも、表面的にこのエントリから受けるイメージは、「V○RITASという会社の広報はIT業界ではまったくモノを知らないようだね」ということか、「ああ、アンチMSな人だね。」ということだけ。
 
会社の身を削って問題提起。あっぱれです。
 
修正パッチごとに1ドル返金を要求します!

ヘルシオ

我が家についにヘルシオがやってきた。文字通り地響きを立てて・・・。
 
先月に小田急ハルクのビックカメラで物色した際には、4社から水蒸気オーブンが出ていたのだが、ヘルシオは先行していたのと、デザインが圧倒的に他よりよくて、即決だった。まあでも結局電子レンジ機能付きの第2世代が出るまで待つことにしたので、出荷待ちと合わせて納品がいまごろになったわけ。
 
しかし第1世代のヘルシオはオーブンとして売り込んでいたのか、一般家庭におけるキッチンの広さに関してかなりゆったり捕らえている感がある。第1世代は電子レンジ機能がないため、ヘルシオ+電子レンジを置く必要があるが、ヘルシオ自体がこのサイズでさらに電子レンジとなるとかなりのスペースが必要になるからだ。
 
第2世代の、それも小型の方を購入して写真のような有様なので、もともともっと広い家に住んでいる人しかターゲットにしていないのかも・・・、とか思いつつ。
 
それにしてもウリの油を使わないから揚げは素晴らしい。実際に生姜とにんにくをすりおろした実家秘伝の醤油タレ(嘘)で作ってみたのだが油を使わないのに表面がぱりぱりのじゅーじゅーに揚っていて、中はほくほくジューシー。受け皿には油がけっこうな量落ちていて、ヘルシーというのが体感できる。普通に揚げた場合は落ちた油+揚げ油を摂取することになるので、こりゃいい。
 
以前から業界では普通に使われていたというこの水蒸気オーブン、しばらく病みつきになっていろいろ料理してみる予感。(料理といっても僕の腕じゃおかず一品が限界ですが・・・)

らすた 実食

と、いうわけで昨日「らすた」が会社近所にできた、と言う話を書いて、さらに周囲の人にも吹聴してたらさっそく行きたいという同志を発見したので今日行ってきた。さすがにお昼時は混雑していて、8人待ちで15分ほど並ぶ。が、回転率も早くさほど長くは感じない。
 
で、SPらすた麺をねぎだくで注文。ノリとチャーシューが倍入っていて、さらに葱が山盛り。味は前に食べてからかれこれ8年くらい経過してたけど、変わらない味のように感じた。うまい。濃厚なスープに太くて「つるつる」の卵麺。大盛りにしなくても食感だけでたぶんおなかいっぱい。
 
日吉の本店はカウンターにさらに棚がついていて厨房の中は見えないのだけど、代々木店はカウンターが低くて棚がないので、作る過程が丸見え。「刻み長ネギ少々+タレ+鶏油たっぷり+スープ+麺+そしてトッピング」という一連の作業を見守りつつ食欲を高めていくことに。
 
今回は久しぶりということもあり、お昼なので午後の仕事を考えて大蒜(強化ニンニク)、豆板醤などの調味料は加えなかったけど、スープの味に慣れてくる半分過ぎくらいに、豆板醤などをちょびっと入れるともっとおいしいかもしれない。次回に挑戦。

らーめん

自宅で食事を食べるようになってから、外食の魅力が相対的に低くなりつつあって、それはそれでええことだと感じながら・・・。
 
そうはいっても気になるお店もあるわけで。今回はらーめん。
 
最近転居した京王線仙川駅には、実はらーめん二郎がある。二郎は有名なお店だけど、個人的にはあまりおいしいと思ったことはないお店。でも学生時代に何回か行った経験があって、周囲にも好きな人が多かったため、なんとなく懐かしい感じがして1度行ってみたい。
お約束ごとが前提なため、注文する時のあの妙な緊張感も懐かしい。今でもそうなんだろうか。(食券制なのに並んでいる場合は先に大か小を言わされる、とか、にんにく・やさいといったトッピングの指示ね。)
 
大食いに自信がある人はぜひ大ダブルをどうぞ。
 
もう1つはらすた。こちらも学生時代に日吉のお店にちょくちょく行っていたのが懐かしい。最近代々木駅前に店舗ができたのを発見したので、機会を見つけて行って見たい。(開店セールかわからないが、300円でラーメンを出していてものすごい長蛇だったが、10月1日までだそうなのでそろそろいいかも。但し日吉もそうだが人気店なので、立地を考えるとしばらく並ぶのは覚悟が必要かも)
 
ちなみにどちらもこってり味なので、あっさり味が好きな人はちょっとダメかも。

命の別名

命の別名」は言わずと知れた中島みゆき嬢の曲でドラマ「聖者の行進」の主題歌にもなってます。(中島みゆきの場合、こういう時に"名曲"と簡単に言えない、多すぎるから・・・汗)
 
繰り返す過ちを 照らす火を灯せ
君にも僕にも すべての人にも
命につく名前を 心と呼ぶ
名もなき君にも 名もなき僕にも
 
人間を人間でないものと区別するものはなんだろうか。様々なところでテーマになるこの話題だけど、頭脳、心、魂、いろいろ表現は違えど、物理原則に支配される事象を超えた"何か"があると人は考えているような気がする。
 
例えば瀬名秀明の「Brain valley」(新潮文庫で復刊したようだ)では大脳生理学の極限から、人間の意志の謎を宗教の存在に絡めて題材にしているし、漫画(アニメ)「攻殻機動隊」では、なんでもかんでもデジタイズされる世の中にあって、完全にはコピーできない霊的な存在として「ゴースト」という魂の存在を設定している。このあたり、英語「ブレードランナー」の原作「アンドロイドは電気羊の夢をみるか」でも、自らの意思を持ったアンドロイドの悲劇をテーマにしてたりして、ロボットやアンドロイドといった現代においては非現実的な人間にとっての他者を設定できる分、この手の話題にはSFが向いてたりもする。
 
で、「命につく名前を 心と呼ぶ」という歌詞は、我々の生命が「心」という目には見えないが、しかしお互いが相手の存在を(暖かいものとして)認識できるものに変換されることで、初めてそれぞれの個人にとって、お互いにとって唯一無二の、何物にも代えがたい大切な存在であると認識できること、を詠っているように感じる。
 
このあたり特に科学的な根拠も精神分析もない感情的な意見なんだが、「人間の想い」って結構すごいよな、と感心することしきりの自分としては、また1つ「なるほど」と勝手に一人で納得できる歌詞なのであった・・・。
 
akirasek 的 勝手人間とは?(自分とは?)論
・その1 自我(自分自身)とは、他者との関係性それぞれの中においてのみ定義されうる。
(→つまり自分が「そうそう、これが俺。」と自分で認識するには、常に自分を投影する相手が必要ってこと。)
 
・その2 人間の「意思」は、それがどのような形であれ他者と共有可能な「何か」として自分の外に形となった時に初めて「意味」を成す。
(→つまり1人でもいいから誰かに伝わって初めて「自分の意思」。誰にも見えなかったらそれは・・・なんだろ?たぶんないのと同じ。)
 
・その3 1人1人が全世界を持っている。
(→つまり誰しも「自分の世界観(宇宙)」の中で、他人の世界観に少しづつ足を踏み入れながら生きている。他人の宇宙では外国人どころの騒ぎじゃなく異空間なわけで、そりゃ人間関係は一筋縄じゃ行かないですよね。)
 
いやー、こんなこと本読みながら考えてた日々が貴重です。

誰も知らない

いまさらだけどDVDで「誰も知らない」鑑賞。カンヌ受賞の時にものすごく報道されてたので名前は知ってたし、実はDISTANCEというこれの前の是枝監督の長編作品を、当時テレビマンユニオンにいた友人に誘われて見たことがあった。
 
正直やりきれなかったが、子供たちの置かれた環境とか、どうしようもなさ感とかが肌で感じられるような気がして、映画としてはすごいと思った。
 
ちなみに身始めてから実際にあった事件をモチーフにしてることを知ってびっくり。まじかよ。
探してみると事件の詳細を調べた人がいた。はっきり言って映画のストーリーよりやるせない。
http://www22.big.or.jp/~konsakai/19890810_appeal.htm →当時の報道に対する抗議文

きのこシチュー

CMに踊らされてきのこシチューがどうしても食べたくなり、材料を昨日の晩に買い揃えておく。
http://housefoods.jp/products/tvcm/90cm_050923.html
 
と、ブロッコリー、たまねぎ(少しだけあった)、にんじんという基本的な材料を忘れてた・・・。
 
まぁいいや、ということで今晩はきのこシチュー。材料はとりもも肉、しいたけ、えりんぎ、しめじ、まいたけ、マッシュルーム、たまねぎ。まさにきのこ尽くし。
 
今回は市販のルーを使うのですごく簡単。切る、炒める、煮る、そして牛乳を少し追加してまた煮る。
ということで鍋投入から合計25分ほど煮て完成。
 
うまい!秋はいろんな食材がうまいです。