あとひきWikipedia

 
結局そういうことなのだ。この議論は「事実って何?」という抽象的な問いに行き着いてしまう。それはわかっているのだ。
 
が、この問いは抽象的すぎてあまりに複雑な世の中に生きている僕らの日々の課題を解決するための道具としては大きすぎる。Pragmaticに言えば使えない道具は道具になれない。
 
そしてこの問いの前には大手メディアだろうがWilipediaだろうが壁の落書きだろうが、その内容の真実度合い(?!)はほとんど同じでどんぐりの背比べだと思う。(極論すぎる?でもそうだと思うよ、実際問題。)
 
結局現実の世界では僕らは得た情報を自分が信じるに値すると思うかどうか、でそれが真実だと信じることにしているだけなんだけど、あまりに不確実なこの世界ではそうでもしないと確実な足場を作ることができなくて、そういう足場を作ることで初めて1つ1つ前に進んでいけるようになるんだよなぁ。
 
などと昼間から夢想している自分再発見。
 
これからは信頼できるソースを持つことと同じく、可能な限り多くのソースを持つこともすごく重要な要素になっていく確信が。
 
白紙の上に黒点をひたすら穿っていくことでも真円に近づくことができるけど、同じように接線をひたすら引いていくことでも真円に近づくことができる。
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