Wikipedia 偽情報問題

Wikipedia のとあるジャーナリストの項目に偽情報が記載されていた問題。
 
■Wikipediaが登録制に――虚偽投稿対策で
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0512/06/news027.html
■「冗談でやった」――Wikipediaへの偽投稿で謝罪
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0512/12/news041.html
 
Wikipedia がインターネット上の百科事典として様々なシーンでReferenceになりはじめているのは事実だと思う。そして無邪気にネットを使っている人ほど、既存メディアと同等の扱いをしている傾向が見受けられなくもない。(気がする。)
 
当然新聞やテレビといった既存のニュースメディアはこういった動きにはあまり賛成ではない。1つにはWikipediaが「検証されていない」情報であり、あたかもそれが「事実」であるかのように受け取られてしまうからだ。もう1つにはもちろん彼らの存在価値が薄められてしまうから、という理由もあるだろう。
 
こういうのはたぶん僕の友人の1人が学問的に解決策を究明してくれるだろうから、小難しい説明は彼に譲るとして、僕が感じることは以下だ。
 
・Wikipediaがどれだけ信頼を勝ち得ようとも、Web上の情報ソースの1つでしかない。その情報を使ってその人がどんな情報を発信したり、投資活動をしたりして結果として損害を蒙ったり得をしたとしても、責任は結局その人にある。
 
・メディア=媒体から流れてくる情報は常に「間接的」な情報であるということを忘れてはいけない。
 
・既存メディアとWikipediaの違いは、既存メディアが培われた経験・手法、ジャーナリストの倫理、プロフェッショナリズム、によって情報の権威付けをしているのに対して、Wikipediaは多数の個人による監視によって情報の正当性が"高まる"ということを期待しており、その結果として正解に近い情報を得ることができるというところを情報の権威付けにしている。(後者は決して情報に権威付けをすることを目的としていないので、この表現は正しくないと思う。対比のためにあえてこう書いてみた)
 
・考えてみるとこの両者の違いは情報や情報共有に対する社会の欲求に対するアプローチの差でしかなく、そもそもどっちが正しいとかどっちがえらいとかいう話ではない。あえて言えばどちらも"正しい"と僕は思う。
 
・つまり、どっちがどっちを塗り替えるとか入れ替わるとかいう話ではなく、新機軸が1つできてきたってことで結局いいことだよね?!という個人的な結論。
 
うーん、結局メディアリテラシに行き着くのかなぁ。人間生きていくためには情報の取捨選択を毎日やってかなきゃいけないわけで、その時々で何を信じるかって結局その人次第だからなぁ。
 
と、駄文を書き連ねた理由は、「ほらWikipediaなんてこんないい加減なものなんだから、信用しちゃだめだよ。」と短絡的に鬼の首を取ったかのように騒ぐ人が世の中にはいないとも限らない、と思ったからでした。
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