命の別名

命の別名」は言わずと知れた中島みゆき嬢の曲でドラマ「聖者の行進」の主題歌にもなってます。(中島みゆきの場合、こういう時に"名曲"と簡単に言えない、多すぎるから・・・汗)
 
繰り返す過ちを 照らす火を灯せ
君にも僕にも すべての人にも
命につく名前を 心と呼ぶ
名もなき君にも 名もなき僕にも
 
人間を人間でないものと区別するものはなんだろうか。様々なところでテーマになるこの話題だけど、頭脳、心、魂、いろいろ表現は違えど、物理原則に支配される事象を超えた"何か"があると人は考えているような気がする。
 
例えば瀬名秀明の「Brain valley」(新潮文庫で復刊したようだ)では大脳生理学の極限から、人間の意志の謎を宗教の存在に絡めて題材にしているし、漫画(アニメ)「攻殻機動隊」では、なんでもかんでもデジタイズされる世の中にあって、完全にはコピーできない霊的な存在として「ゴースト」という魂の存在を設定している。このあたり、英語「ブレードランナー」の原作「アンドロイドは電気羊の夢をみるか」でも、自らの意思を持ったアンドロイドの悲劇をテーマにしてたりして、ロボットやアンドロイドといった現代においては非現実的な人間にとっての他者を設定できる分、この手の話題にはSFが向いてたりもする。
 
で、「命につく名前を 心と呼ぶ」という歌詞は、我々の生命が「心」という目には見えないが、しかしお互いが相手の存在を(暖かいものとして)認識できるものに変換されることで、初めてそれぞれの個人にとって、お互いにとって唯一無二の、何物にも代えがたい大切な存在であると認識できること、を詠っているように感じる。
 
このあたり特に科学的な根拠も精神分析もない感情的な意見なんだが、「人間の想い」って結構すごいよな、と感心することしきりの自分としては、また1つ「なるほど」と勝手に一人で納得できる歌詞なのであった・・・。
 
akirasek 的 勝手人間とは?(自分とは?)論
・その1 自我(自分自身)とは、他者との関係性それぞれの中においてのみ定義されうる。
(→つまり自分が「そうそう、これが俺。」と自分で認識するには、常に自分を投影する相手が必要ってこと。)
 
・その2 人間の「意思」は、それがどのような形であれ他者と共有可能な「何か」として自分の外に形となった時に初めて「意味」を成す。
(→つまり1人でもいいから誰かに伝わって初めて「自分の意思」。誰にも見えなかったらそれは・・・なんだろ?たぶんないのと同じ。)
 
・その3 1人1人が全世界を持っている。
(→つまり誰しも「自分の世界観(宇宙)」の中で、他人の世界観に少しづつ足を踏み入れながら生きている。他人の宇宙では外国人どころの騒ぎじゃなく異空間なわけで、そりゃ人間関係は一筋縄じゃ行かないですよね。)
 
いやー、こんなこと本読みながら考えてた日々が貴重です。
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